パナールは1890年にフランスで最初の自動車を開発し、黎明期の自動車レースで幾度もの優勝を獲得したパイオニアだった。今日、自動車の定石となっているフロント・エンジン/リヤ・ドライブを最初に採用したのもパナールだった。
19世紀から第2次世界大戦までのフランスはブルジョアの最盛期で、パリは世界の文化の先進的な中心だった。パリという都市自体がスペクタクルで華やかな劇場の舞台さながらで、自動車は単なる移動手段ではなく、その権勢を誇示する乗物だったから、その時代のフランスの高級車は豪奢で巨大であった。ドラージュ、ドライエ、ヴォアザン、ブガッティなど。パナールも華麗で荘厳な社交界の花形だった。それらのメーカーは第2次世界大戦後には絶滅してしまったが、パナールは180°方向転換してミニマムな小型車を開発したから、ルノー、プジョー、シトロエンとともに生き残ったのだった。
戦後のパナールは一貫して、軽量で空力的なアルミを多用したボディに空冷水平対向2気筒の小さなエンジンで前輪を駆動した。初期には606cc、最終型でも850ccほどの小さなエンジンで、セダンは6人乗車でも高速道路を130km/hで余裕を持って巡航し、同じエンジンを搭載したスポーツカーはルマン24時間レースでも活躍した。日本でもトヨタがパナールを研究して、大衆車パブリカを開発した。パブリカから生まれたスポーツカーがトヨタ・スポーツ800であり、よりパワーに勝るライバルをしばしば打ち負かしたものだ。
戦後のパナールは、最小限ながら最大限の効果を発揮する21世紀の現在に通じるエコロジーとエコノミーの先駆的車であり、その独創的な叡智による設計哲学は今もって模範とするのに値するだろう。今回のauto galleria LUCEでは、戦後のパナールの主な生産車とともに、ルマン24時間レースでフランスの栄光を担ったレーシングカーを紹介する。
PANHARD Dyna X 85 (1951)
PANHARD PL17 (1960)
PANHARD Junior (1953)
DB PANHARD HBR (1954)
CD PANHARD 62 (1962)
PANHARD 24 BT (1967)
アウト ガレリア “ルーチェ”
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