PAIGE GLENBROOK (1916)
BUGATTI TYPE 35B (1927)
LANDROVER SERIES 1 (1953)
PORSCHE 911S (1970)
TOYOTA SOARER (1987)
日本は、幕末からのアメリカのペリーの黒船の来襲などの脅威にさらされて、それまでの孤立した鎖国政策からの方向転換の必要に迫られた。そして、1859年には、アメリカ、イギリス、フランス、オランダ、ロシアとの修好通商条約を締結した。その時から、神戸や横浜は欧米との貿易の窓口として発展を始めた。江戸幕府、そして明治政府は、列強に追いつき、対抗するための力を蓄えるために、殖産興業の方針のもと、貿易に力を入れた。日本が世界と向き合いながら、江戸から明治へと大きく転換してゆく時代に、白州次郎の祖父・退蔵は兵庫県三田の藩士として財政を建て直しながら、藩の意志を倒幕に向けて統一した。また明治になると、いちはやくクリスチャンとなり、ミッション・スクールの神戸女学院を創立に関与した。実業界では正金銀行の頭取となり、政界でも兵庫県県会議員となった。要するに、白州次郎の 祖父・退蔵は、江戸から明治への激動の転換期のパイオニア的成功者であった。
白州次郎の父・文平はアメリカのハーバード大学やドイツのボン大学に留学し、帰国後は三井銀行を経て、神戸で『白州商店』を創業。とくにアメリカからの綿花の輸入で成功して、短期間で莫大な財を築いた。 白州家には神戸女学院のためにアメリカから招聘した教師が寄宿しており、若い頃から白州次郎は英語に親しんでいた。そして次郎は中学生の頃から、家にあったクルマを乗り廻していた。白州家の祖父から3代目となる次郎は、当然のように国際人となるべく、英国に留学すると、当時の上流階級に人気のあったベントレーやブガッティを乗りこなすようになる。次郎は日本に戻ってからも、貿易に携わり、しばしば英国に滞在した。 戦後は吉田茂首相を助け、マッカーサー以下アメリカからの進駐軍との交渉に携わり、通産省を設置するなど、政治と産業に深く関わった。
今回、アウト ガレリア“ルーチェ”にて開催する「The Oily Boy 白洲 次郎のクルマたち 」展では「そんな国際的なスケールで活躍した稀有な日本人である白州次郎が終生、こだわりを持ち続けていたクルマにスポットライ トを当てた展示をおこないます。彼が初めて乗ったクルマと言われるペイジ・ グレンブルックから、ヨーロッパ大陸を走ったブガッティ、そして戦後、東北にダムを造る際に道無き道を走り廻るために、自ら輸入したランド・ローバー、 最後に、彼の眼鏡に適うクルマを造れという豊田章一郎の期待から生まれた二 代目のソアラなど、白州次郎と由縁のあるクルマたちを紹介したいと思います。
アウト ガレリア “ルーチェ”
イベント期間中、午前12〜午後6時 休館日 月、火曜 (祝祭日除く)
〒465-0053 名古屋市名東区極楽1丁目-5番 オリエンタルビル極楽NORTH2F
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