A PIONEER OF RACING DRIVER 
“HIROSHI FUSHIDA”









 ──不世出のパイオニア・レーサー 鮒子田 寛の半世紀──
2017.7/22(Sat.)~9/18(Mon.)
 

アウト ガレリア “ルーチェ”

イベント期間中、午前12〜午後6時 休館日 月、火曜 (祝祭日覗く)

465-0053 名古屋市名東区極楽1丁目-5番 オリエンタルビル極楽NORTH2F

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主  催
アウト ガレリア “ルーチェ”

協  賛
トヨタ自動車/TOM’S/トヨタ自動車博物/童夢/三栄書房/レーシングオン/NRC
高雄サンデーミーティング/月刊 カー・グラフィック/オートカー・デジタル
月刊 カー・マガジン/国際貿易/高原書店/ゼロクラフト/スピードショップ FII

監  修
ガレリア・アミカ

 1966年10月1日から4日にかけて、トヨタ2000GTは1万マイル78時間のスピードトライアルに挑戦した。平均速度は206km/hを超え、3つの世界新記録13の国際新記録を樹立した。5人の契約ドライバーが操縦を受け持ったが、一番若いドライバーが鮒子田 寛で若干20歳だった。それからの鮒子田 寛はトヨタの契約レーサーとして、67年3月開催の鈴鹿500kmレースにトヨタ2000GTで優勝を遂げ、この2ヶ月後の5月の発売予定目前に2000GTの高性能と耐久性をアピールする活躍をした。翌68年からは新開発の本格的なレーシングカー、3リッターのV8エンジンをミッドシップに搭載したTOYOTA7で、7月の富士1000kmレース、10月の鈴鹿1000kmレースで優勝し、69年1月の鈴鹿300kmレースでも優勝を飾った。そして5リッターV8新型エンジンを搭載した新型TOYOTA7のデビューレースである7月の富士1000kmでも優勝し、それから2週間後にやはり富士スピードウェイで開催されたNETスピードカップでも優勝した。この実績の通り、トヨタの契約レーサーとして最も活躍したレーサーだった。

 70年から鮒子田は単身アメリカに渡り、現地のチームに採用されてF-AやCAN-AMそしてTrans-Amに出場した。いずれも日本人として初めての参加である。ところが71年Trans-Amレース中、車両トラブルから大クラッシュに見舞われ重傷を負い、2か月の入院後、その年の秋に帰国。72年には国内レースに復帰して、当時日本最高峰のレースであった富士グランチャンピオン・シリーズのチャンピオンとなり、国内最速のレーサーであることを証明している。73年にはル・マン24時間レースにシグマMC73で参加し、75年にはマキF101CでイギリスGPとオランダGPのF1に出場。ル・マンもF1世界選手権も日本人として初参加であったが、シグマもマキも、ともにメーカーではなく、生まれたばかりの弱小のコンストラクターであった。特にマキF1はコンストラクターと名乗るのもはばかれるほどで、独学でレーシングカーを作っていた28歳の青年が情熱だけで、しかもなんの設備もないイギリスの田舎屋で制作したF1だった。鮒子田 寛は、もともと日本最初のレーシングカーのコンストラクターとして登場したマクランサの林 みのるにレーシングカーへの興味を植え付けた張本人でもあり、その後は林 みのるが創立し日本で最も成功したレーシングコンストラクターとなった童夢の社長ともなっているのだから、日本のコンストラクターの草創期から現在にいたるまで、その歴史に関与してきた唯一のレーサーでもある。しかも鮒子田 寛は、日本における海外レースのパイオニアとして数々のレースに自ら参戦してきただけでなく、また、トヨタ・チーム・トムス監督、TOM’ S GB 社長としてトヨタのル・マン活動に深くかかわり、TOM’ S GBがAUDIに買収されてRTN(レーシング・テクノロジー・ノーフォーク)となってからも、その実力を買われてベントレー・ブランドのル・マンカーの開発を主導し、2003年には1930年以来、実に73年ぶりの勝利をベントレーにもたらした。

 鮒子田 寛は、第1に不世出という形容がふさわしいレーサーでありながら、またトヨタのような日本の自動車メーカーが戦後初めて本格的なレーシングカーの開発に乗り出して急成長した時代を共に歩んで活躍し、日本の若いコンストラクターが世界への挑戦を始めた時には暖かく支援し、さらに自らもイギリスでコンストラクターとして実績を上げた。帰国してからは日本で最も成功したコンストラクターの社長として指揮をとった。レーサー、レーシングチーム監督、コンストラクターとしても日本ばかりか海外でも成功した。彼ほどモータースポーツの各分野でインターナショナルに活躍した男は他にいないだろう。人は誰もが夢を語るが、その夢を追いかけ、自ら切り開いて実現してしまう人間はほとんどいない。彼こそ、パイオニアと呼ばれるのにふさわしい。ようやく、鮒子田 寛の生き様を俯瞰して見渡せる機会が来たようだ。

 今回のAuto Galleria LUCEの企画展では、彼の足跡を辿りながら、同時に極東の片隅の日本という島国でのレースの歴史と世界に雄飛した日本人の活動の歴史を確認する機会としたい。

TOYOTA 2000GT SPEED TRIAL

TOYOTA 7 415S

TOYOTA 7 474S

TOM’S ANGEL T01

DOME S102.5


展示車両

(1966)

(1968)

(1970)

(1994)

(2012)